浦上戦記

ブレイドクロニクル 草薙新政府・薄桜鬼 浦上宗純の戦記

草薙サーバー新政府で兵団・薄桜鬼に所属している浦上宗純です。

諱は【むねずみ】、号が【そうじゅん】と申します。

先祖は戦国の頃、備前国守護代から戦国大名となった浦上一族でございます。
家臣の宇喜多に乗っ取られてからは全国を流れる浪人の身でありました。

倒幕の機運が高まっておりますが、その宇喜多を関ヶ原の役にて滅ぼした幕府にこの度微力ながらも加担させていただいております。という設定にすることにしました。

メイン型は守護ですがへたくそなので修業の毎日です。

11月18日 BC

今日帰宅中に満月がきれいでした。


BCの時代、明治より昔の日本はこの月を基準とした太陰暦という暦を使用していました。


月の満ち欠けを基準としたカレンダーですね。
自分を含めた現代の人にはなじみが全くありませんが日本史を考える上ではちょっと知っておきたい知識の1つです。



月は完全に見えない状態から徐々に大きくなりやがて満月になります。
そして満月からは徐々に小さくなりまた見えなくなります。

このサイクルが29日ないし30日です。


最初の月が見えない状態を毎月1日とします。
この見えない状態の月のことを朔(ついたち)といい、1日のことを今でもツイタチと言います。


少しずつ大きくなり、3日目には細長い状態の月になります。いわゆる三日月(みかづき)ですね。


その後、15日目には満月になります。
昔の暦では、月齢カレンダーを調べなくとも、毎月15日は必ず満月でした。

その名残で今も満月のことを十五夜(じゅうごや)と言います。


満月をピークに月はやがてどんどん小さくなっていき、29日目もしくは30日目にはまた見えなくなります。


このサイクルを1ヶ月としていました。
だからこの約30日のサイクルのことを「月」と言うのですね。


そして29日目もしくは30日目のことを「晦日(みそか)」と言うのですが、1年の最後の日を「大晦日(おおみそか)」と呼ぶことも旧暦からきています。



ちなみに1ヶ月が29日の月もあれば30日の月もあり、これを12ヶ月で1年となりますが、これでは1年=365日には足りません。

長い年月が経過すると季節感がなくなってしまう恐れがあることから、だいたい30日ぐらいのズレができる頃に閏月(うるうづき)というものを1ヶ月加えて調整していました。閏月を入れた年は1年=13ヶ月になります。


現在は4年にだいだい24時間ずれるので閏年といって2月に1日足して29日が出現して調整していますが、あれの1ヶ月バージョンですね。


いつどこに閏月を入れるかは朝廷に決定権がありました。




以上マメ知識コーナーでした。

戦略と戦術と作戦

映画・清須会議を観て、その前後の史実をはっきりと思いだしたくて本を読んでいたら夜中の3時とかになっててびびりました。歴史たのしー、ためになるー。


BCでもリアルでも、仕事でも、極論すれば人間関係にも関わってくることかもしれませんが、タイトルの「戦略と戦術と作戦」を混同していたり、はっきりと区別できない人をエリート集団の中にすら見かけることがよくあります。


自分はラッキーなことにこの3つの差をわかりやすくはっきり区別できる説明に触れることがありました。


この区別がわかれば、例えば「川中島の戦いは武田信玄と上杉謙信、どっちが勝ったか」という論争もはっきりと答えることができます。どこかのネットコミュニティでも武田勝利派、上杉勝利派、引き分け派と分かれていましたが、どれも決定的ではありませんでした。


その自分が触れることができた説明ですが、サッカーに例えられていました。


新政府レッズと皇国ブルーズの試合。
得失点差などの関係で新政府レッズはその試合に勝つか引き分けか1点差以内での負けであればリーグ優勝が決まります。
皇国ブルーズは2点差以上で勝てば優勝。

結果、新政府レッズ1-2皇国ブルーズで皇国の勝利。
リーグ優勝は新政府レッズに決まりました。



この中での”戦略”は両チームとも「リーグ優勝すること」です。
”戦術”は新政府レッズは「勝つか引き分けか負けても1点差」で、皇国ブルーズにとっては「2点差以上をつけて勝つ」ことです。

”作戦”は新政府レッズであれば例えば「守る人数を多くする」とか「カウンターを積極的に狙う」とかそういったものです。


試合に勝ったのは皇国ブルーズかもしれませんが、勝者はリーグ優勝を果たした新政府レッズとなります。




上に書いた武田信玄vs上杉謙信の川中島の戦い。

概要は武田信玄が北信濃(長野県北部)の支配権を獲得するために侵攻。
元々北信濃を治めていて武田信玄に追い出された村上氏が越後(新潟県)の上杉謙信に助けを求めたことから起こった戦いで、合計5回も行われた戦国時代でも有名な合戦です。


”戦略”は「北信濃の支配権を獲得すること」なのでいくら合戦でいい勝負をしようが、どちらが押していようが、有力武将の首印をあげようが、最終的に「北信濃の支配権」を獲得した武田信玄の圧勝であることがわかります。


川中島の戦いで、上杉謙信が単騎で武田軍の本陣まで突撃して武田信玄と一騎打ちした有名なエピソードがありますが、極論すればこの時仮に武田信玄の首をとられていても「北信濃の支配権」を武田家がキープしている限り武田の勝ちになります。



現実の世界ほど考える要素は少ないものの、BCでの合戦も「戦略と戦術と作戦」は存在していて、勝ち負けというよりも戦略を達成するための戦術、戦術をスムーズに行うための作戦、というとらえ方で帯刀や動き、参加する合戦場の順番を考えて楽しんでいます。

でもそれをやったら戦功が貯まらないんですよねー。



そして現実の世界では戦略が見えていなかったり、目の前の勝ち負けや損得で動くことが多いんですよねー。そもそもネットゲームをやってる時点で人生の戦略が見えてない気がしますw
人物概略


[ 浦上宗純 ]

勢力 : 新政府
兵団 : 薄桜鬼








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